靴屋のはなし

先日靴屋にトゥのワックスの磨きかたを教わりにいった。

その中で、新品靴を雨で濡らすのがいやで履かない顧客もいるがそれは違うと言うはなしに。私もできるだけ酔っぱらう日はいい靴は履かないとはなしをしたが、靴やから言わせると靴は雨でも履く道具であり汚れて当然。

だからこそ履かないのは論外であり、ハーレーも乗ってこそハーレーと一緒だと言われたのを思い出した。

靴屋としては、汚れてもいい、傷がついてもいい。それを、きちんとリムーバーでおとして、メンテナンスしているのがわかれば大事にしてもらえてると思い嬉しいと。また、スニーカーも新しい白の靴はかっこが悪いと皆思うように、完璧はかっこが悪いんだと。

ジュリーが帽子をななめに被るのもしっかり被ると完璧だからずらしている。新しいスニーカーも運動会に合わせて買ったのがみえるから汚していく。

ファッションにも言えるそうだ。すべてきれいな同じ色だと気持ちが悪い、どこかではめをはずして、色を変えたり、素材を変えたり、違うものをつけたりするとそれがおしゃれに転じると。

年を重ねた最近思うのが、如何に自分を認め納得するかと言うところなのだが、シワや白髪がでてもそれを楽しむゆとりが大事なのだ。金持ちの女優が以前のイメージを保つためにほほに金のワイヤーを入れたり、美白を保ったりするのは、自然なことではないので、違和感がある。

靴も自分も経年変化していくが、嘆くのではなくそれを楽しむといい。

不変なものはないのだから。

世代の違い

以前は情報も年功序列でも情報操作をしてコントロールできた時代に、これほど情報も調べると出る時代、かつガジェットもどんどん進化しておいついていく時代。

そんなスピードが加速していっている時代を駆け抜けたり、生きている若者たちは当然我々のようなスピードが遅い時代に育った人間と合うわけがない。

その思考に寄り添うことによって自身も進化する必要がある、しかしすべて寄り添う必要はなく。いいところだけ学び、寄り添い手名付けるといいと思う。