増産すると言っていたが、マスクより生活用品のほうが不足したときの不便さが大きいため当然買い占めに進む。
量産できない場合、マスクより続くのではないか。この考えは更にウェットティッシュ、おむつの不足を生む。
買い占めることによって転売したい人間は、ポジショントークするだろうし。
しかし、snsの発展で情報リテラシーが日本を含め高くなってきているので心配はそれほどしなくていいものなのかな。
増産すると言っていたが、マスクより生活用品のほうが不足したときの不便さが大きいため当然買い占めに進む。
量産できない場合、マスクより続くのではないか。この考えは更にウェットティッシュ、おむつの不足を生む。
買い占めることによって転売したい人間は、ポジショントークするだろうし。
しかし、snsの発展で情報リテラシーが日本を含め高くなってきているので心配はそれほどしなくていいものなのかな。
その分野お客様として素直に1:1の価値もいいが、同じにする必要はなくどんどん経営者目線でかんがえていこう、
情報がありふれているからこそいろんな視点から価値を増やそう
コミュニケーションにおいて、聞く、話す、教える、納得してもらう、説得する理解してもらう、褒める、さらに怒る、いろいろあると思うが、結局はまめに認めてこちらは理解していると認識してもらってからでないと、難しい気がする。
一貫性の理論で、よくわかっていると思っている人のはなしは、わかっているはずなのでゆうことを聞く。
まずは、認知と承認が必要。
もう1月も数日で終わります。
数日というか30時間ほどでしょうか。
月日が経つのが早い。
もう節分です。
今日は大事な契約が終わり、数年先にはまた大きくなっていると思います。先日いいなぁと思った話が、
人は知らないことはイメージできない。
と、言われました。まー具現化という言葉があるので、即座に論破されそうですが、人に行動を起こさせるのには使い勝手のいいセリフかもしれません。
もっとシンプルにいきたいのだが、感情に邪魔されている人が少なからずいる。
そこを凌駕してこその自他共にコントロールだと思うが、手を差しのべてもふてくされて自分の首を絞めているケースを目の当たりにした。
当然、私からだと効力がないため影響力がある人間に相談依頼したのだが、相手の背景と感情、それによる対策と言い回しを伝えた。
しかし、私が相手の感情だけ言っていたということになってしまったのだ。
本質が抜けている。
そこで学んだのだが、人にものを頼むときは正直に言ってリスクをとる必要がないので、リスクにならない言い方で動いてもらえばいいのだ。
人を傷つけず目標さえ達成すればいいのだから。
先日靴屋にトゥのワックスの磨きかたを教わりにいった。
その中で、新品靴を雨で濡らすのがいやで履かない顧客もいるがそれは違うと言うはなしに。私もできるだけ酔っぱらう日はいい靴は履かないとはなしをしたが、靴やから言わせると靴は雨でも履く道具であり汚れて当然。
だからこそ履かないのは論外であり、ハーレーも乗ってこそハーレーと一緒だと言われたのを思い出した。
靴屋としては、汚れてもいい、傷がついてもいい。それを、きちんとリムーバーでおとして、メンテナンスしているのがわかれば大事にしてもらえてると思い嬉しいと。また、スニーカーも新しい白の靴はかっこが悪いと皆思うように、完璧はかっこが悪いんだと。
ジュリーが帽子をななめに被るのもしっかり被ると完璧だからずらしている。新しいスニーカーも運動会に合わせて買ったのがみえるから汚していく。
ファッションにも言えるそうだ。すべてきれいな同じ色だと気持ちが悪い、どこかではめをはずして、色を変えたり、素材を変えたり、違うものをつけたりするとそれがおしゃれに転じると。
年を重ねた最近思うのが、如何に自分を認め納得するかと言うところなのだが、シワや白髪がでてもそれを楽しむゆとりが大事なのだ。金持ちの女優が以前のイメージを保つためにほほに金のワイヤーを入れたり、美白を保ったりするのは、自然なことではないので、違和感がある。
靴も自分も経年変化していくが、嘆くのではなくそれを楽しむといい。
不変なものはないのだから。
以前は情報も年功序列でも情報操作をしてコントロールできた時代に、これほど情報も調べると出る時代、かつガジェットもどんどん進化しておいついていく時代。
そんなスピードが加速していっている時代を駆け抜けたり、生きている若者たちは当然我々のようなスピードが遅い時代に育った人間と合うわけがない。
その思考に寄り添うことによって自身も進化する必要がある、しかしすべて寄り添う必要はなく。いいところだけ学び、寄り添い手名付けるといいと思う。
情報化社会とはいうが、現代は非常に情報が多いため自分の好きな情報がどんどん入ってしまうが故に他に趣味として広がっていくことを妨げてしまっているんではないかと考えた。
例えば、趣味とはなにかしら知るきっかけがないと始まらない。そこに友人や知人はたまた取引先などの共有する時間が繰り返されて自分の趣になり感情として趣味になるのではないか。
そうしたら、上記の自分の情報で埋まっていき他の情報が入ってきにくくなり結果として趣味の数が限定的になる気がする。
私の友人で、他人とは別人なので他人に興味もない。自分の好きなことしかしないし続かないという人間がいるが、むしろ他の方の趣味を聞いたりすることで一度はとびこんでみるのも自分の人生に深みを出すためには必要なことなのかもしれない。
きっかけなんてたいして重要ではないのだから。
先日、パチンコ屋の上役の方と話をしたところ詰まらない機種はだして、機種自体価格が高いが楽しいものは出さないといっていた。
出さなくても楽しいから人はお金を使うらしい。
とある飲食の成功者は、お金を追うと離れるから、常にお金に追われないといけない。といっていた。
その続きは、お金を追わないとなるとやりがいにシフトするんだが、やりがいがあるものってお金にならない。機種で言う、ニーズがあるからかなと思う。
21世紀の資本より、土地や株など得られる不労所得は、汗水垂らして働いた収益や賃金を下回ることはないらしい。
詰まらないものにこそ集中して身を置いているとお金に追われるんではないかと総合的に考えてみる。
まず口臭い人、比較的何やらせてもうまくいかない。
そして、もうひとつは言ってはいけない情報を平気でリークして情報持っている自分がステータスだと勘違いしている人。
どちらも厄介者でまわりから人が去っていってしまう。